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 【生涯学習】

《公開講座記録》【人間学で読み解く現代社会】第5回  他者との対話 ─ヨーロッパの移民問題を考える─

第5回
●2020年11月28日(土) 午後1:30
●テーマ: 他者との対話 —ヨーロッパの移民問題を考える—
●講師  天理大学学長 永尾 教昭

内容

テロは文明の衝突が原因か
 
1989年のベルリンの壁崩壊から2001年の9.11は、いわゆるイデオロギーの対立から文明の衝突への移行といえるだろう。
他者との対話の重要性を、現在ヨーロッパで問題になっている移民問題を通して考えてみたい。今、ヨーロッパでイスラム過激派などによるテロが相次いでいる。2015年11月パリでのテロでは、劇場が襲撃され130人がなくなる。特に2010年から12年に起った「アラブの春」がシリアに及ぶに至り、多くの難民が移民としてヨーロッパに流れ込み、一層複雑になってきている。
例えばムハンマドの風刺画を掲載した新聞社が、イスラム過激派に襲撃されるという事件も発生している。
これらの表向きの理由は、西洋民主主義、自由主義=キリスト教国の文明対保守的なイスラム文明との衝突となっている。
過激なイスラム原理主義は、例えば女性は家のなかにいるものと考える。学校に通っていたマララ・ユスフザイ氏は登校途中に襲撃された。あるいは同性愛の禁止。酒、賭け事の禁止。
翻って西側文明は基本的に何でもありである。同性婚、離婚も自由、同棲もあり。結婚前に異性関係を持つことも取り立てて問題になるわけではない。そういう社会は、イスラム原理主義から見れば完全に堕落した社会であろう。
つまり表面上は、サミェエル・ハンチントン氏が主張した文明の衝突となっている。そして、そのピークになったのが、9.11。しかし本当に異文明は衝突するのだろうか。そしてそれは、宗教の衝突なのだろうか。
 
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、言うまでもなくアブラハムを祖とする兄弟宗教である。歴史の中で対立はあった。しかしテロの真の理由は、宗教の教義がぶつかっているというよりも、西側国のイスラムに対する差別的感情と、差別的扱いから来る経済格差。それが爆発したものではないだろうか。事実、例えばフランスでイスラム系移民は、都市郊外に住み、スラム化しているところもある。しかも多くは下層労働者である。
加えて、西側のルールが、世界の普遍的なルールになっていることへのイスラムの人たちの苛立ちがある。ちなみに日本も明治以降、西側のルールが普遍的なものと考え取り入れてきている。
 
文明の衝突
 
ただ根源には文明間の衝突という一面もないわけではない。今、ヨーロッパを揺るがせている移民問題も、単にある国に外国人が入ってくるという問題ではない。従って単純に、人道主義で受け入れればいいではないかということではない。なぜならば、元の文明が壊される可能性があるからである。異国民を受け入れるかどうかと言う問題ではなく、異文明を受け入れるかどうかの問題であろう。つまり、A文明圏の人たちがB文明圏に流入してきて、元々そこにあったB文明を尊重し、それに従えば問題は少ない。しかし、宗教の祭儀・習慣である場合、簡単にその習慣なりを変えることはできない。そこが大きな問題である。
イスラム系移民らは金曜日に礼拝し、イスラム暦を使い、クリスマスは祝わない。それが大人数になれば、即ちヨーロッパ文明が破壊される。それに対するヨーロッパの人たちの憂慮は深いものがある。この点で、結果的にキリスト教対イスラムのような構図になってしまっている。
一方、イスラム系移民を安価な労働力として積極的に入れたのは、他ならぬフランス政府である。
フランスは、フランス革命以降、基本的に国家が宗教には介入しない。1905年には、政教分離法も成立する。この政教分離(ライシテ)を国是とするフランスである問題が起こった。これは政教分離の問題が、宗教の問題にすり替わった例であろう。
1998年頃、イスラムの女子高生がスカーフをして、公立の学校に入ろうとし教師に止められた。それを外せと言われたのである。
これが信教の自由か政教分離の原則かと、国を挙げての論争となった。結果、公共の場では
Ⅰ大きな十字架、スカーフ、キッパなどの公の場での着用は禁止
Ⅱ小さな十字架、ファチマの手、小さなコーランなどは認める
という決定がなされた。
その後、フランスは町中でブルカなどの着用を禁止する。これはフランス政府から見れば、明らかに政教分離の問題である。しかし、イスラム側から見れば、これもまたイスラムに対する国家による嫌がらせとなる。かくして異文明間の対立はますます深く、深刻になっている。
 
解決策はあるのか
 
では異文明間の理解は成し遂げられ、真の世界平和は来るのだろうか。異文明間の戦争は、言わば領土の概念のない戦争である。そして、それは最終的には、人類を滅亡させてしまうかも知れない。では解決策はあるのか。それは粘り強い対話しかないのではないか。
そして対話には行司役が必要であろう。日本の役割は極めて重要なのではないか。まず世界の人の日本観、日本人観が非常に良い。一つには、日本文化が影響しているであろう。加えて親切な日本人の気質も影響しているのではないか。さらに日本は西側の一員だが、中東の人達の印象も決して悪くない。
 
今、キリスト教文明圏とイスラム文明圏の戦争前夜のような雰囲気がある。その対話に臨むには、あるべき態度がある。
このような中で、ぜひ、将来、日本の若者が国連などの国際機関に大いに出ていってもらいたい。それには「溶け込む力」が重要だ。
 
結語

自分の信じる教えが最高、最善であると確信すること。これはどの宗教の信仰者にとっても絶対の条件である。また信仰者は、そうであるべきである。しかし、そのことと他の教えに敬意を払うことはまったく矛盾しない。それは一神教であっても同じだろうと思う。
さらに第2バチカン公会議(1962年〜65年)以降、キリスト教各派、また多宗教間の対話が広がっている。こういう態度こそが和解への道を開くのではないか。例えば日本でも世界宗教者平和会議日本委員会などの多宗教間の組織が活動している。これからの世界で、この種の活動は最も大事になっていくのではないか。

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