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 【リレーエッセイ 感染症と人類4】

上田秋成と疱瘡

西野由紀 教授(文学部国文学国語学科:日本近世文学)

上田秋成は『雨月物語』(安永5(1776)年刊)を発表する際、「剪枝畸人(せんしきじん)」の名をもちいました。秋成には複数の号がありますが、この「剪枝畸人」は彼の身体的な特徴に由来します。「剪枝」は「樹木の枝を切ること」(『日本国語大辞典』)。「枝」の字を「肢」と置き換えるとわかりやすいかもしれません。つまり、「剪枝畸人」の「剪枝」は、「肢」の一部である「指」が切れている状態をさします。

秋成晩年の随筆『膽大小心録(たんだいしょうしんろく)』(文化5(1808)年)に、次の一文があります。

翁五歳の時、疱瘡の毒つよくして、右の中指短かき事、第五指の如し。又左の第二指も、短折にて用に足たされは、筆とりては右の中指なきに同しく、筆力なき事患ふへし。

「疱瘡」とは天然痘のことで、6世紀にはすでに日本での発症例が確認されており、江戸時代にも流行をくりかえしました。江戸時代も末期になってようやく、痘瘡苗を人体に植え、免疫を得て発病を回避する種痘法がおこなわれるようになりますが、秋成の時代、いまだ疱瘡は迷信的な対処にすがるほかない「厄病」でした。先述の一文からもわかるとおり、秋成の右手中指と左手人差し指とには疱瘡の後遺症が残り、ゆえに「剪枝畸人」を名のったのです。

こうした疱瘡の後遺症は、江戸時代のほかの作品にもしばしば描かれています。たとえば井原西鶴の『武家義理物語』(貞享5(1688) 年刊)巻一に、「黒子(ほくろ)は昔の面影」という明智光秀とその妻とが登場するはなしがあります。

いわく、光秀がまだ十兵衛と名のっていた頃、近江国沢山(佐和山とも)に住むの11歳の美しい娘と婚約します。ところが娘は妹とともに疱瘡にかかり、妹は病前とかわらぬ容姿を保ちますが、姉は「醜き形」となってしまいます。姉の身代わりとして妹が十兵衛のもとにいくものの、事情を知った十兵衛は妹を親元に戻し、あらためて姉を嫁としてむかえたといいます。このように、疱瘡は患者の容姿に変化をもたらす病でした。

また、近松門左衛門の『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(享保6(1721)年初演)中之巻「河内屋の場」でも「疱瘡した時、日新様へ願かけ代々の念仏捨て百日法華に成る」という台詞があり、疱瘡に特効薬はなく、神仏にすがるしかない病であったことがわかります。

ところで秋成は、4歳で大坂堂島の紙油商嶋屋に養子としてむかえられ、その後、疱瘡にかかります。一時は危篤に陥りますが、信心に篤い養父母が加島稲荷に祈願し、その霊験によって九死に一生を得たといいます。ただ、一命はとりとめたものの、両手指に後遺症が残りました。そしてそれは、自虐的に「剪枝畸人」と称するほどには、秋成の人格形成に影を落としたといえます。

万葉集の注釈『金砂(こがねいさご)』(享和4(1804)年)のなかで秋成は、「人各遇不遇有て、我しらぬ命禄は、諭すべきにあらす」(人はそれぞれに運の善し悪しがあって、自分が知らない運命は、言い聞かすことができない)と記しています。これは桓武天皇の先帝、光仁天皇が即位した経緯にたいすることばですが、さらに「正史といへとも、時にあたりては、実を退け、譌を設くる」(正史であっても、その時にさしあたっては、事実を遠ざけ、誤りをつくる)とも続けています。人は「命禄」つまり天から授かる運命に逆らえないものの、この「命禄」によって有能な人物が不遇に陥ることもあるのだとしています。おそらくは秋成もまた、「命禄」を受け入れつつも、心のうちでは己が身の不遇を嘆いていたのでしょう。

こうした秋成の葛藤は、彼の残した草稿からもうかがうことができます。天理大学附属図書館は、『春雨物語』をはじめ、おおくの自筆資料を所蔵しています。

参考文献
加藤茂孝「天然痘の根絶—人類初の勝利」(『モダンメディア』第55巻11号、栄研化学、2009年)
『膽大小心録』(『上田秋成全集』第9巻、中央公論社、1992年)
『武家義理物語』(『新編 日本古典文学全集』69、小学館、2000年)
『女殺油地獄』(『新編 日本古典文学全集』74、小学館、1997年)
『金砂』(『上田秋成全集』第3巻、中央公論社、1991年)


上田無腸自画肖影(天理大学附属天理図書館蔵)
上田無腸自画肖影(天理大学附属天理図書館蔵)

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