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 【リレーエッセイ 感染症と人類13】

今に生きる疫病退散の祭り

松岡 薫 講師(文学部歴史文化学科考古学・民俗学研究コース:民俗学、民俗芸能研究)

私たちは古来より様々な感染症と向き合ってきました。今日のように医学や公衆衛生の知識が発達する以前には、多数の死者を出す流行病(疫病)は人々にとって恐怖の対象でもあり、流行病をもたらすのは疫鬼や疫神の仕業だと考えられていました。そこで、人々は村内に疫神が侵入するのを防ぐ儀礼や、また村内に入った疫神を慰撫する儀礼を行い、神に祈りを捧げることで、蔓延する流行病をなんとか鎮めようと努めてきました。

その後の医学の進歩によって、かつて人々を恐怖に陥れた流行病の多くは克服されましたが、一方で疫病退散のための祈願や祭りは私たちの身近なところで今日でも続いています。ここでは、こうした祭礼行事を2つ紹介したいと思います。

まず、村内に疫病が侵入するのを防ぐための行事の例として、奈良県生駒郡平群町椣原地区の「勧請綱」(かんじょうづな)があります(写真1)。これは、毎年1月3日に、集落の境にある川岸に、龍の形をした大きなしめ縄をわたす行事で、大しめ縄を村境に張っておくことで、疫病が集落内に入ってくるのを封じようとしたのです。こうした綱掛けの習俗は近畿地方で広く見られます。このほか全国各地には、村境にしめ縄を張ったり、大きなわら人形や大草履を飾ったりすることで、集落への疫病の侵入を防ごうとする行事が伝承されています。

そして、祭りを行うことで疫神を慰撫し、村の外へ追い払おうとするものの代表的な例として、京都祇園祭があげられます(写真2)。かつて京都の市中で流行していた流行病の原因は牛頭天王の祟りであるとして、牛頭天王を祀り、祟りを鎮めるための祭りを挙行したのが京都祇園祭の始まりです。そのため、祇園祭の期間中に配られる粽(ちまき)は疫病除けの御利益があるとして、1年間、家の玄関先に飾られます。

京都祇園祭で一番知られている「山鉾巡行」は、豪華絢爛な装飾品で飾られた山鉾が、囃子を伴いながら市中を巡行する行事ですが、この行事の背景には賑々しく市中をまわることで疫神を丁重にもてなし、私たちの暮らす空間から出て行ってもらうという思想があります。それぞれの山鉾は巡行から戻るとすぐに解体されてしまうのですが、これも壊すことで疫神を追い払おうとする考えに基づいているのです。

このように、多くの疫病が克服された今日でも、私たちの身近なところで疫病退散の祭礼行事が様々な形で続けられています。言い換えると、これは私達が疫病と戦ってきた歴史ともいえるでしょう。

今回のcovid-19の流行によって、多くの祭礼行事が中止になっています。祭礼行事の中止や縮小は、感染状況が落ち着くまで続いていくでしょう。実際に、ここで紹介した京都祇園祭の山鉾巡行は2年連続での中止が発表されました。しかしながら、日本中で祭礼や行事が全く行われていないかといえば、そうではないようです。例えば、京都祇園祭でも山鉾巡行や神輿渡御に変わる行事として、昨年新たに「御神霊渡御祭」という行事が作られ、実施されました。これは、神馬の背に榊を乗せ、神輿や山鉾の代わりに市中を巡行するという行事で、市中の疫神を祓うという役目を、神馬が務めたというわけです。つまり、京都の人達はcovid-19という新たな疫病に屈せず、新たな行事を生み出すことで疫病に打ち勝とうとしているのです。京都祇園祭の例だけでなく、人々がどうcovid-19と向き合い、その先に何が残されているのか、丁寧に追っていきたいと思います。

参考文献
植木行宣監修『山・鉾・屋台の祭り研究事典』思文閣出版、2021年。
田中眞人『奈良大和路の年中行事』淡交社、2009年。
写真1 平群町椣原地区の勧請綱
写真1 平群町椣原地区の勧請綱
写真2 京都祇園祭の山鉾巡行
写真2 京都祇園祭の山鉾巡行

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