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 【リレーエッセイ 感染症と人類11】

「スペイン風邪」を想起する

山本和行 准教授(総合教育研究センター教職課程:近代教育史 植民地教育史 台湾史)

2020年初頭から続く新型コロナウイルスCOVID-19の世界的な感染拡大を受けて、私自身も含めた歴史研究者のあいだで想起されたのが、1918年から1920年にかけて世界中で大流行した、いわゆる「スペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ、H1N1型インフルエンザ、Spanish flu)」でした。環境史を専門とする藤原辰史さんは、2020年4月に公開した「パンデミックを生きる指針—歴史研究のアプローチ」という文章のなかで、今の新型コロナウイルスに対峙するなかで「参考にすべき歴史的事件」としてこの「スペイン風邪」をめぐる歴史的な動きを挙げ、現在に活かすべき「教訓」を具体的に列挙しています。

ただ、歴史人口学者の速水融さんが「”忘れられた”史上最悪のインフルエンザ」と書いているとおり、この「スペイン風邪」をめぐる歴史は長らく「忘れられ」ていました。当時の内務省衛生局がまとめた「被害」の状況によれば、日本での感染者数が約2,380万人(当時の人口比で約43%が罹患)、死者数が約39万人という、まさに「史上最悪」と形容しても言い過ぎではないような「被害」を日本社会にもたらしたにもかかわらず、第一次世界大戦下の「特殊な」社会情勢のもと、その後の日本社会において、その実態と社会に与えた影響が参照されることはほとんどありませんでした。それが、昨今のCOVID-19によるパンデミックによってあらためて注目されたということになります。

日本における「スペイン風邪」の流行は大きく、1918年10月から1919年3月、1919年12月から1920年3月、1920年12月から1921年3月の3回に分けられます。日本での「スペイン風邪」の流行とその影響については速水融さんの著書が詳しいのでそちらを参照して下さい。こうした感染症の拡大は当然、日本が植民地統治をおこなっていた台湾や朝鮮半島でも発生していました。

植民地統治下の台湾における「スペイン風邪」の感染状況について検討した丁崑健さんの研究によれば、台湾における「スペイン風邪」の流行も日本「内地」と同様に3つの大きな波があったものの、それぞれ1918年6月から同年9月、1918年10月から同年12月、1919年12月から1920年2月と、日本より早い時期に感染拡大が起こり、また比較的短期間のうちに収束していたようです。ただ、感染者数は約93万人(当時の台湾の人口比で約25%)、死者数が約45,000人と、人口割合のうちの死者数は日本「内地」と相違ないほどの「被害」をもたらしました。また、植民地統治下における医療環境・生活環境の相違により、日本「内地」の人々と台湾の人々(漢族・先住民族)とのあいだで、前者は感染者数が多いわりに死亡者数が少なく、後者は感染者数が少ないが死亡者数が多いといった民族間の差異が顕在化し、あらためて植民地統治のありかたが問われる事態になったことが指摘されています。

感染症によるパンデミックは人々の社会生活に否応なく制限を与えるものである以上、わたしたちの社会・わたしたちの生活のありかたを厳しく問うものになります。それは、この「スペイン風邪」をめぐっても起こったように、感染症とわたしたちの社会との関係性をめぐる必然的な問いなのだといえます。私たちは今まさに、日々の生活のなかでそのような問いにさらされているといえるでしょう。
参考文献
速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ—人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006年)。
丁崑健「1918-20年台北地區的H1N1流感疫情」(国立空中大学生活科学系『生活科学学報』第12号、2008年)。

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