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 【生涯学習】

《公開講座記録》【外国語への招待】第3回 ブラジルのスラム街文学に触れる

第3回 ●2021年7月24日(土)13時30分
テーマ ●ブラジルのスラム街文学に触れる
          ●講師  北森 絵里 外国語学科 教授

内容

ブラジル社会は所得格差の著しい社会であることは知られている。人口の約8割が集中する都市部では富裕層の居住地域と低所得層の居住地域(「ファヴェーラ」と呼ばれる)が明確に分かれている。本講座では、リオデジャネイロ(以下、リオ)における「ファヴェーラ」が題材となった文学作品と、ファヴェーラの住民自身が彼らの暮らしを自らのことばによって表現した文学作品を取り上げる。取り上げる作品の出版時期は、19世紀末、1960年、1990年代半ば以降である。

ブラジル文学史において初めて貧困層がテーマとなったのは1890年アルイジオ・アゼヴェドの『コルチッソ(百軒長屋)』とされる。この作品が著わされた背景には、エリート層が持つブラジル社会の「内なる他者」、すなわち貧困者といった非エリート層である民衆に対する「まなざし」が見て取れる。作品には、男女の愛欲や不倫がコルティソの住民(貧困者)とコルティソの大家(富裕層)の登場人物を設定して表現されている。当時すでに芽生えていた資本主義的秩序の象徴としてのポルトガル人男性が、感情に正直に生きる官能的な混血女性に翻弄されるといった対比が読み取れる。

次に、ファヴェーラ住民による「最初の」文学作品と言われるのが、1960年出版のカロリナ・マリア・ヂ・ジェズスの『ゴミ置場:あるファヴェーラ住民の日記』である。著者による5年間の日記をジャーナリストが発見し出版したものである。語り手は、ファヴェーラの厳しい暮らし、ゴミを漁って生計を立てる、辛いが家族のために生きるシングルマザーである。この作品からは、ファヴェーラ外部の富裕層が思い描くステレオタイプのファヴェーラ住民像が描かれていると考えられる。

これら2作品とは決定的に視点が異なるのが、1990年代後半に現れる「マージナル文学」としてカテゴライスされる諸作品である。「マージナル文学」の命名者はファヴェーラの住民である。代表的な作品を2つ挙げる。1つはパウロ・リンスの『シダーヂ・ヂ・デウス』(1997年)、もう1つはフェレスの『カパン・ペカード』(2000年)である。両作品に共通するテーマは、若者が生きる、暴力・犯罪・ドラッグの世界である。これには、1990年代後半から2000年代初頭の時代背景が大きく関わる。この時期のブラジルは、新自由主義に舵を切り、ファヴェーラに拠点を置く犯罪組織に対する徹底的な掃討を繰り広げることによって、ファヴェーラに対する嫌悪と「不寛容」の時代が始まったと言える。それに呼応する形で、ファヴェーラ住民の作家が、犯罪とドラッグにまみれた過激で暴力的な日々を生きる若者の姿を表現した。

2000年代、もう1つのタイプの「ファヴェーラ発文学」が登場した。それは、ファヴェーラの人びとのエンパワーメントのための文化活動の一環として捉えることのできる、「コムニダーヂの住民による文学」である。コムニダーチ(comunidade)とは、住民が自分の住むコミュニティを、偏見のニュアンスを含む「ファヴェーラ」という名称ではなく、「人びとが尊厳と誇りを持って暮らす場所」という意味合いを持つ表現である。主な作品に、ジェオヴァニ・マルチンスの『ソル・ナ・カベサ』(2018年)がある。この作品では、コムニダーヂのどこにでもいる若者の日常、労働、ドラッグ、家族や友人といった人間関係、恋愛とセックスが表現されている。文体は口語体でありスラングが多用されている。日々の出来事が淡々と語られ日常の詳細な様子が描写される。コムニダーヂの人びと(とくに若者)にとって、この作品は自分たちの等身大が描かれていると感じるであろう。一方、コムニダーヂを知らない外部者にとっては、「ファヴェーラの人びと」という、同じ社会を生きる「他者」を理解することに繋がると考えられる。このような、「コムニダーヂ住民による文学」には、自己完結した「ファヴェーラ」ではなく、外部にも開かれた、外部との対話を促す可能性があろう。

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