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 【生涯学習】

《公開講座記録》【「大和学」への招待 ─郡山の歴史と文化2─】第1回 お殿様は人形がお好き —柳沢信鴻の『宴遊日記』から見る大名の生活—

第1回
●2022年5月28日(土) 午後1:30
●テーマ: お殿様は人形がお好き —柳沢信鴻の『宴遊日記』から見る大名の生活—
●講師  幡鎌 真理(天理参考館 学芸員)

内容

大和郡山藩15万石2代藩主柳澤信鴻は、5代将軍徳川綱吉の側用人として重用された柳澤吉保の孫で、隠居後の江戸六義園での生活を克明に『宴遊日記』にのこした。嫡男保光に家督を譲った安永2年(1773)から剃髪する天明5年(1785)まで13年間にわたって詳細に書き続けた日記がこれである。今も柳澤文庫に大切に収められているが、昭和52年(1977)に藝能史研究会により翻刻され、三一書房より『日本庶民文化史料集成第13巻』として出版された。そこには、観劇に興じ、俳諧を楽しみ、愛する人のために雛の節句には毎年雛人形を買い求める“お散歩好きなお殿様(厳密に言えばご隠居様)”の優雅な生活が綴られている。その克明さは、まず毎日の天候の記録から始まる。例えば安永●年×月▲日は何時頃から曇り始め、季節外れの寒さだったか、何時に地震が発生したか、「落雷で肝をつぶした」ことなどが記載されており、気象学の見地からも貴重なデータを得ることができる。さらには、江戸の文人大名たちや親族、家臣、出入りの職人など多くの人々との交流、年中行事、舞台を設営しての歌舞伎上演、俳諧や漢詩の披露、社寺参詣、園芸趣味、まじない、果ては泥棒の捕り物まで、まったくもって多岐にわたる興味深い記事が満載の日記なのである。それらは、駒込染井の別荘(下屋敷)「六義園」で展開される。残念ながら館は現存しないが、吉保が実に7年間の歳月をかけて築園した和歌の趣味を基調とする回遊式築山泉水の大名庭園はその姿を今に留め、現在は一般に公開されている。吉保から初代吉里、信鴻、保光…と明治維新まで実子で継承された稀少な大名家である柳澤家は実に文化的な気風だったことが窺える。

さて、その『宴遊日記』、目を惹くのが妻のお隆さんへの愛と江戸市中への外出記事である。信鴻は正室(伊予宇和島藩伊達村年女幾子)を早くに亡くし、継室(信州松代藩真田信弘女輝子)は保光を産んで間もなく21歳の若さで没した。当時から無類の記録魔だった信鴻の日記は、悲嘆の余りこの日から1ヶ月弱途絶えている。その後、藩士村井氏女お隆が傍らに付き随った。信鴻の子女もお隆さんに敬意を表し、親しく交流していることが日記から読み取れる。なにしろ「お隆」は毎日複数回登場し、一緒に物見遊山に出かけ、庭で筍を掘り、居室で語らうのである。信鴻が家臣たちと出かけたときは、“必ず”みやげものを買って「お隆に遣わす」。現代の私たちでも愛する人をこれほどブログに頻出させるだろうか。そのお隆さんと菊を育てたり、上野不忍池に鰻を放流したりと麗しいエピソードは限りないが、そのなかで今回注目したいのは雛人形との関わり方である。当時、雛の節句には江戸日本橋室町の十軒店(現在の日本橋三越のあたり)に雛市が立った。そこに信鴻一行は出かけ、馴染みの店で掘り出し物を物色する。売り手もさるもので、大名相手に一歩も引かない駆け引きを見せる。値段交渉が決裂しても諦めきれない信鴻は、その後家来を再度派遣した末に、無事ゲットということもあった。その家来が入手して戻った報告を受けると、すぐさまお隆さんを連れて見に行き、その場で「お隆に遣わす」場合が多かった。お隆さんには雛人形そのものをプレゼントするが、他の側室には「雛代」つまりお金だけを渡す。待遇に厳然とした差が見られるのである。江戸時代には、初節句にのみ雛人形を調えるのではなかった。愛する女性を守るものとして毎年贈ったのである。また、概して2月下旬から3月9日頃まで雛人形を飾ることが多く、“嫁に行き遅れる”と3日を過ぎれば早々に片付けた事例は見当たらない。さらに「八寸以上は無用」と大型で豪華な雛人形の売買を禁じる禁令が幕府からたびたび出されるが、信鴻はお構いなしに「尺二寸」や「白地金襴」の雛を購入している。信鴻自ら十軒店の雑踏に身を投じ、何軒も店を巡って出色の雛人形を入手しようと奔走するのは、お隆さんへの愛情の発露と理解できる。天明5年にその最愛のお隆さんを亡くし、信鴻は出家する。その後も『宴遊日記』を『松鶴日記』と改名して日記を書き続けるが、もはや文化全般への意欲は消えたようで、かつて見られた文章の躍動感は消失している。寛政4年(1792)3月3日、奇しくも雛人形を愛でた人に似つかわしく、雛の節句に六義園で生涯を閉じた。享年69歳。正覚山月桂寺(現東京都新宿区)に葬られた。

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