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 【生涯学習】

《公開講座記録》【人間学で読み解く現代社会】第5回 風景としての自分を眺める

第5回
●2022年6月25日(土) 午後1:30
●テーマ:風景としての自分を眺める
●講師  松井 華子(人間関係学科 准教授)

内容

心理学は心に関する法則を探究する学問であり、その一領域である臨床心理学は、心の危機や転機に際して人間の心はどのような状態になり、どのように変化する可能性があるのかを研究し、対人援助に生かそうとするものです。

ところで、心について知る・考えるということについて、日本における臨床心理学の泰斗である河合隼雄は、『こころの処方箋』という本の中で面白いことを述べています。

“ (臨床心理学を専門にしていると)一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって(原文傍点)知っているところが、専門家の特徴である、などと言ったりする。”

この文章に河合がつけたタイトルのとおり「人の心などわかるはずがない」というのです。心について探究するはずの臨床心理学者がこのように言うのは奇妙に感じられるかもしれませんが、もちろん河合は「わかりません」と言って終わるのではなくて、

“ (一番大切なことは)すぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることなのである。”

とも書いています。要するに、本人にも周りの人にもまだよくわかっていないその人の中の可能性を信頼して、それが発現するのを待つのが専門家の仕事であるということです。これは、沢山の人の相談事を聞いてきた河合隼雄の偽らざる実感からくる言葉でしょうが、理論的な裏付けもあると考えられます。

現在の心理療法やカウンセリングのルーツの一つとして、フロイトという人の考え方を挙げることができます。フロイトは、人間の心には自分で捉えて言葉で説明したりコントロールできるような「意識」の領域と、自分の意志では動かせないどころか、あるともわからないような「無意識」という領域があると考えました。うっかりミスや夢見などはこの「無意識」が知らず知らずに発動するから起こることであり、また心に関する症状も、この「無意識」の中でうごめいている何者かがひょっこり顔を出すことから生じるのだと言うのです。これに対してユングは、「無意識」は単に困ったことを引き起こすだけではなくて、その人が発展したり成長したりする可能性もそこに含んでいるのではないかと捉え直しました。スイスに留学し、ユング派の分析家の資格を取って帰国した河合隼雄は、このユングの理論に則って先のような見解を示したのでしょう。

しかしいくら「無意識」にその人の可能性が眠っているのだと言っても、それは自分の意志で出したり引っ込めたりできるものではありませんし、本来「わかるはずがない」ものです。それでも、言葉とは異なるものに媒介してもらえば、その一端を垣間見ることができるのではないかと、臨床心理学者は様々な工夫を重ねてきました。その一つが「風景構成法」です。

風景構成法は、風景の絵を描くことで、そこに映し出される描き手の心模様を見ようとするものです。ただし、好きに描けるのではなく、描く項目や順番は決まっていて、川や山などを一つずつ描き足していって最終的に風景となるように仕上げるという、若干チャレンジングな仕組みになっています。全体を破綻なくまとめるためには、思いのままに描くよりは、客観的に分析しつつ物事を進めていく力が必要です。その一方で、描く項目の一つ一つには、その人のこれまでの体験や思い入れなどが注ぎ込まれて、より主観的な世界が映し出されます。最後は色も塗って、情感が添えられます。

今回の講座では、この「風景構成法」を受講者の方々に実際に体験していただきました。描いたあとに、上記のような仕掛けの技法であることを説明し、ご自身の作品を味わう時間を設けました。理論的に読み取ることにも触れましたが、何よりも、心のストレッチのような気分や、自分が心を使ってしっかりここで生きているということを確かめられることがいちばんであるということをお伝えして、全体のまとめといたしました。

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